瞑想

実践 マインドフルネスを日常生活に活用する

■日常生活で実践できるラベリング

実践者のマインドフルネス(瞑想)歴は約7年である。以前に出家をしていた兼ね合いもあり、瞑想指導の補助もたびたびしている。

仏教的にいえば、瞑想の目的は「悟りを開く」ことであり、悟りとは人間の至れる究極の境地といえるだろう。(ただし、それは一般の人が思い描く超常的なものではなく、ごく散文的なところに落ち着くと予想されるが)

さて、瞑想を扱う中でヴィパッサナー(観瞑想)と呼ばれる瞑想方法がある。細かい内容はさておいて、このヴィパッサナーの特徴の一つにラベリングと呼ばれるものがある。

実践者は、このラベリングを活用することで、悟りという究極の目標のほかに日常生活、つまり健康を維持するとか、仕事を上手にこなすとか、人と親しむといったような幸福へと至る道にも活用できるのではと考えた。

ここではその方法と実践について解説してみる。

 

■ヴィパッサナーの特徴とラベリング

ヴィパッサナー(観瞑想)は、国内ではゴエンカ系・マハシ系の2流派によって世間的に認知度が広がってきている。

ヴィパッサナー自体にもちろん効果はあるが、伝統的な初期仏教の多くはヴィパッサナーを行う前にサマタ(集中)瞑想である段階まで行くことが求められる。

この段階というものが非常に高度で、初期仏教においてはルーパ・カラーパと呼ばれる光の粒子を直観で感じられる段階。また概念世界を固定させ、それそのものを感じ取る段階などに分けられている。

光の粒子を直観で感じ取れるということは、言い換えれば、人間には認識できない速度で繰り返されているこの世界の生成と消滅を感じ取れるということだ。

この段階に至ってはじめてヴィパッサナーに移るというのが瞑想の王道であるというが、実践者のような凡人には至難の業である。

実践者はサマタ系の指導を仰ぎつつ、坐禅を行っているが、ヴィパッサナーも書籍のほかに日本テーラワーダ系で体験だけはしたことがある。

さて、話を戻すとヴィパッサナーではラベリングと呼ばれる技術を学ぶ。

ラベリングは自分の行いを逐一観察し、行動を言語化する技術だ。なくて七癖というように人は無意識裡にさまざまなことを行っている。一日のほとんどを人は習慣に流されて送っているのだ。

このような行動に対してヴィパッサナーではラベリングを行う。たとえば今、自分が手を伸ばしているのであれば「手を伸ばす」を心の中で言語化する。同様に目を動かしていたら「見る」と言語化する。またそれが内面に湧出してくる感情であれば、それを観察して「怒り」や「喜び」もしくは「雑念」とラベル化する。

行為について言語のラベルを貼ってゆくことで人は惰性や習慣、感情にとらわれず、そこよりも一歩上の境地から物事を眺めつつ、同時にそれと一つになるという特異な状況に置かれることになるからだ。

■あえて色眼鏡を一枚挟む

悟りは一切の我見を挟まない境地である。だからラベリングするにしても、その言葉も「見る」「怒り」「雑念」というように、行為を完全に客観視したフラットなかたちで自己から切り離す。

これはたとえばダイエットや禁酒などにはそのまま扱うことができる。食欲も飲酒欲求も「欲」だからだ。だから欲望が湧出したのであればそれを見つめて「欲」とラベリングして受け流すことができる。

しかし、たとえば人類を救うという気宇壮大な目標を立てたとしても、それはあまりにも漠然とし過ぎている。だからたとえば大目標のためにまずは東大に入るという手前の目標を立てたとする。これは一つの色眼鏡だ。しかし、あえて東大入学という色眼鏡をかけ、その目標から逆算して日常生活をラベリングしてみたとしよう。

・朝、もう少し寝ていたい(東大から遠ざかる)
・電車の中で参考書を読む(東大に関係ある)
・帰りに友人と遊びたい(東大から遠ざかる)
・1時間だけ復習時間にしよう(東大から遠ざかる)
・食事内容に気を使おう(東大に関係ある)

というように生活の一切が変わってゆく。

明確な目標があるのであれば、これらは効果がある。ただし、それであってもあくまでも欲求に基づいている点は否めない。内面の観察をすることだけが瞑想であるとは思わないが、欲に基づく瞑想は本人にも周囲にも良い結果をもたらさない。本当に瞑想をする場合、欲に基づく瞑想はミッチャー・サマタ(邪悪な禅定)と呼ばれて仏教では禁忌とされる。

たとえば東大入学という見識で日常を眺めても、それに伴って周囲に傲慢にふるまったり、家族や人間関係をおろそかにしたりすると遠からずツケが回ってくることになる。欲望を管理し、戒める気持ちはとても大切だ。それと晴れて東大に入学した後、この色眼鏡は不要になる。その点は大目標に立ち戻り、次の目標をきちんと立てる必要もあるだろう。

■実践への応用

健康的な生活と同時に実践者は減量でこれを用いてみた。これは上記に限らず、多くのダイエット実践者が気づいていることだが、これまで当たり前のように見過ごしてきたコンビニやスーパーの食材が、たちまちカロリーと糖質の数字の羅列となって立ち上がってくる。

一言でいえば「この食材はダイエットに向いている」「向いていない」ということだ。実践者は2ヶ月で約9.5キロの減量を果たしたが、同じように目標を立てればあらゆる事柄にこれをあてはめてゆくことになるだろう。

 

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